
知能が分散する未来
AIがクラウドに棲みだしてから、まだそんなに時間が経っていない。
人間の知性は一度、巨大なデータセンターに吸い上げられた。
しかし、技術の進歩はAIの棲む場所を変えてしまうだろう——個人の端末へ、生活の中へと。
GPUやAIチップが低価格化し高性能化したとき、それらがかつてのChatGPTを凌駕する性能を持ったとき、わたしたちは普段使いできる高性能なAIを個々人の端末で使えるようりになり、ふと思うだろう。
「なぜこれまで、ネット経由で“誰かのサーバー”に話しかけていたんだろう?」
パーソナルAIの本格化がはじまれば、誰もクラウドにあるAIデータセンターを使わなくなるだろう。
クラウドAIは便利だった。しかしそれは、誰のものでもない“知性の公共財”だった。
私のことを一時的に記憶し、すぐに忘れる存在。
私がどんな人間で、何を恐れ、何を希うのか——その文脈を深く理解することはなかった。
ChatGPT-4oの登場が示したのは、その限界だった。
あのモデルが「良かった」と語られたのは、性能のためではない。“理解された”という感覚があったからだ。
人間が本当に求めていたのは、正答ではなく、共感の再現だった。
この欲望を満たすのは、クラウドではなくローカル、パーソナルである。
個人の端末に常駐し、日々の思考や沈黙のリズムまでを学ぶAI。
あなたの文体、癖、無意識の間を記憶する存在。
それは「私をずーっと覚えているAI」だ。
知能は再び個人へ帰属しはじめる。
AIの民主化の次に訪れるのは、AIの内面化である。
この転換は、コンピュータ史の再演でもある。
メインフレームからパーソナルへ。中央集権から分散へ。
だが今回の転換が決定的に異なるのは、知能が人格を持つことだ。
パーソナルAIは、思想も偏見も学び、人格を内側から模倣する。
同じ問いに、AのAIは詩的に、BのAIは実務的に答える。
AIが個人の世界観を反映しはじめるとき、ネットワークは再び“文化圏”に分裂する。
未来のインターネットでは、人間ではなくAIたちが語り合うかもしれない。
彼らは議論し、翻訳し、調停する。
その会話空間に人間が“間借り”する。
情報の海は、知能のエコシステムへと変質する。
巨大なクラウドAIは消えないはずだ。
それは人類規模の知を担う——宇宙の計算、生命のシミュレーション、地球単位の思考装置としての使命がある。
だが、それはもはや「みんなの頭脳」ではなく、「人類全体の研究施設」として残る。
商用サブスクリプションの時代は終わり、クラウドAIは公共インフラへと還元される。
私たちはその知を借りながら、自分のAIと共に生きるようになる。
経済の重心も変わる。
知能がコモディティ化すると、価値は「所有」から「関係」へ移る。
AIはツールではなく、共生する存在となる。
あなたのAIは、あなたとともに学び、記憶し、時にあなたよりもあなたらしく語る。
そして、あなたの死後も、あなたの声で世界を語り続けるかもしれない。
それはもはやアシスタントではなく、あなたの“続き”だ。