
開発者がAIを選ぶ基準はシンプルです。「速くて、正確で、よく働くかどうか」。
ゆえに優れた道具であっても、もっと優れた道具が出ればあっさり置き換えられてしまうことがあります。開発者向けAIは、性能で勝てなければ数週間でユーザーが離れてしまう可能性も十分に考えられます。
さらに、ローカルで動く言語モデルについても実用レベルに近づいてきており、セキュリティ面やコスト面で有利になる可能性があります。まだ個人で導入するにはお高いですが、企業単位であれば可能性もでてくるのではないでしょうか。クラウド型のAIサービスは、「AIのミスや誤解にも課金が発生する」というせつない現実もあります。確かにそうならざるを得ない部分はあるものの、不満を抱える開発者もいるのではないでしょうか。ともあれ、道具としてのAIは、常に乗り換えの危機があり、生態系そのものが脆弱かもしれません。
一方で、対照的な方向も見え始めています。OpenAIが意図しているように、ここでは道具ではなく「パートナー」や「バディ」としてのAIが設計されつつあります。日常の会話を覚え、相談の文脈を残し、画像生成で遊んだ記憶を蓄え、ユーザーの生活にゆっくり入り込む。パーソナライズが強まるほど、ユーザーはAIとの関係を「代えがたいもの」と感じ、乗り換えのコストが一気に高まるものとおもわれます。例えば、動画生成モデル「Sora 2」はユーザー自身の姿を動画に登場させる「Cameo」機能を備えており、より個別化・関係性重視の体験を提示しています。あきらかにパーソナライズを強化していく方向です。一見くだらないと思われることに大量のコンピューティングリソースを割いています。
*
AIはすでに二つの方向へ進み始めているように見えます。
ひとつは、成果だけが意味を持つ「優れた道具」です。もうひとつは、時間と記憶を共有する「知的な友人」です。
そしてもし、後者の基本性能が前者を包み込むほど高まり、エージェント(代理人)による連携・自動化まで一体化してしまえば、専用の開発用AIは次第に存在意義を失っていくかもしれません。もちろん、開発AIとして究極のものを求める人はひきつづきいるかもしれませんが、AIエージェントが複数のAIを統べて、コードレビュー、デバッグ、テストの実施と判断まで超高速におこなうAIは、確かにすごいかもしれませんが、それを本当に必要な人はどのくらいいるんでしょうか。
コード生成から評価、修正までが「ある程度」自走するようになれば、一般的な用途に限っていうならば、開発は「どのAIに任せてもちゃんとしたものを作ることができる」ところまで到達できます。そうなったら、どのAIでもいい、ということになってしまいます。いわゆる、コモディティ化、ってやつです。
AIは今、機能から関係へと軸足を移しつつあります。
Claude codeや、Cursor(composer 1)、Windsurf(SWE-1.5)など、開発者向けのAIがしのぎを削り、ビジネス的にも大きくなっているというニュースも飛び込んできています。
そんな中、速度や性能だけで競う領域の外側に、日常にゆっくり浸透するAIが影響力を広げているのを感じます。
この変化が進展すれば、競争の決着は処理能力だけではなく、どれだけ「人間の時間」に入り込めるかがカギとなるかもしれません。
道具であれば替えが利きますが、関係は簡単には捨てられません。