書籍というメディアに束ねられていた機能は、どこへ移ったのか——「本離れ」の正体

本を読む人が減っている。

文化庁が実施した令和5年度の「国語に関する世論調査」では、電子書籍を含む本を1か月に1冊も読まない人が62.6%に達した。ただし、ここでいう本には、雑誌や漫画は含まれていない。以前に比べて読書量が減ったと答えた人も69.1%いる。

この数字だけを見れば、日本人は本を読まなくなり、文字や知識から離れつつあるように見える。

だが、同じ調査をもう少し詳しく見ると、別の姿が浮かび上がる。

本を1冊も読まないと答えた人の75.3%は、SNSやインターネット上の記事など、本以外の文字情報をほぼ毎日読んでいる。文字や活字による情報に触れる時間全体についても、「増えている」が35.3%、「それほど変わっていない」が37.3%だった。両者を合わせれば72.6%になる。

本を読む人は減った。

しかし、人々が文字情報そのものから離れたわけではない。

では、本を読まなくなった人は、以前なら本から得ていたものを、いまどこから得ているのだろうか。

「本離れ」と呼ばれている現象の正体は、読書文化の単純な衰退ではないのかもしれない。かつて書籍というひとつのメディアに束ねられていた機能が分解され、別々の場所へ移っているのではないか。

書籍は、複数の機能を束ねた容器だった

書籍は、文章を印刷して保存するだけの容器ではなかった。

知識を調べる。

一つの分野を体系的に学ぶ。

最新の情報を知る。

専門家の見解に触れる。

物語を体験する。

情報を長期間保存する。

自分の知らない思想や作品と出会う。

著者や出版社を経済的に支える。

知的な所有物を持つ。

一人の人間が組み立てた長い思考を、順番にたどる。

これらの機能が、一冊の書籍とその周辺に束ねられていた。

もちろん、一冊の本だけですべてが完結していたわけではない。出版社が作品を選び、編集者が内容を整え、印刷会社が物体にし、取次が運び、書店が並べ、図書館が保存し、中古市場が再流通させる。

私たちが「本」と呼んできたものは、紙を束ねた物体だけではない。

作品、商品、流通、保存、発見、所有、支援までをまとめた、ひとつの巨大なメディア装置だった。

書籍が長い間強かったのは、すべての機能で最良だったからではない。

多くの機能を、一冊という扱いやすい単位にまとめていたからである。

紙から電子へ移ったのではない

本をめぐる変化は、しばしば「紙の本か、電子書籍か」という対立で語られる。

しかし、電子書籍は基本的に、一冊という単位を維持したまま、表示する場所を紙から画面へ変えたものだ。

ページがあり、表紙があり、著者名があり、一冊ごとに価格が付けられている。紙の本と電子書籍は、使い勝手や所有の仕組みこそ異なるが、どちらも「一冊の完成品を読む」という構造を共有している。

本当に大きな変化は、紙が画面になったことではない。

一冊という単位に束ねられていた機能が、別々にほどけたことである。

言葉の意味を知りたければ、辞書を引く代わりに検索する。

ある道具の使い方を知りたければ、入門書を買う代わりに動画を見る。

最新の状況を知りたければ、刊行を待たずに専門サイトやSNSを確認する。

専門家の考えを知りたければ、書籍だけでなく、ブログ、動画、ポッドキャスト、オンライン講義を利用する。

物語は小説だけでなく、映画、ドラマ、アニメ、ゲーム、オーディオブックで体験する。

情報の保存は、個人の本棚だけでなく、クラウド、データベース、デジタルアーカイブが担う。

未知の本との出会いは、書店の棚だけでなく、SNS、書評サイト、推薦機能からも生まれる。

電子書籍は、本を画面の中へ移した。

インターネットは、本の機能を一冊の外へ連れ出した。

起きているのは、紙から電子への単純な移行ではない。書籍というメディアの機能分解である。

読む、買う、持つが別々の行為になった

かつて新刊書店で本を買うという行為には、いくつもの意味が重なっていた。

作品へアクセスする。

著者と出版社へ対価を支払う。

本を自分のものにする。

自宅に保存する。

読み終えたら、誰かに貸す。

不要になったら、譲るか売る。

一冊の本を買うことで、読む、支援する、所有する、保存するという行為を同時に行っていた。

現在は、この関係が分解されている。

内容を読みたいだけなら、図書館で借りられる。

一度読めればよいなら、中古本を買うという方法もある。

場所を取りたくなければ、電子書籍を選べる。

概要だけを知りたいなら、検索や要約で済む場合もある。

著者を直接支援したければ、新刊購入のほか、直販、会員制度、イベント、投げ銭、クラウドファンディングなどを選べる。

紙の本を買わなくても、内容にはアクセスできる。

本を最後まで読まなくても、所有することはできる。

本を所有しなくても、著者を支援できる。

逆に、作品の内容が広く利用されても、著者へ対価が届くとは限らない。

読むこと、買うこと、持つことは、かつて一冊の本の上で重なっていた。いまでは、それぞれ別の選択になったのである。

本から外へ出た機能は、強くなった

書籍から外へ移った機能の多くは、以前より便利になった。

検索では、数百ページをめくらなくても必要な情報へ到達できる。

動画では、文章で説明しにくい手順や動作を実際に見せられる。

ポッドキャストやオーディオブックなら、歩きながら、運転しながら、家事をしながら内容を受け取れる。

電子書籍では、何百冊もの本を一台に入れて持ち運べる。知らない言葉をその場で検索し、気になる箇所へ印を付けられる。

SNSでは、著者、専門家、読者が直接つながる。刊行後の補足や訂正もすぐに共有できる。

書籍の外へ出た情報は、検索性、更新性、携帯性、即時性、映像性、音声性、双方向性を手に入れた。

本の機能は、単に奪われたのではない。

移った先で作り直され、場合によっては以前より強くなった。

ただし、そこで強化されたのは、主に「必要な答えを得る機能」である。

答えへ早く到達できることと、その問題を深く理解することは同じではない。

検索では、自分が言葉にできる問いしか入力できない。

動画は、複雑な内容を直感的に理解させる一方、説明者が省略した論点には気付きにくい。

短い記事やSNSの投稿では、結論に至るまでの条件や反論が落ちやすい。

情報を手に入れる能力は強くなった。

しかし、その情報がどのような問いから生まれ、どのような論証を経て成立したのかをたどる機能は、必ずしも強くなっていない。

答えを得る機能は強化された。

問いが形成される過程は見えにくくなった。

新刊書店は、出版市場の観測所になる

本の購入と発見が分離したことで、書店の使われ方も変わりつつある。

現在も、新刊書店は重要な購入場所である。文化庁の調査でも、1か月に1冊以上本を読む人の57.9%が、読む本を「書店で実際に手に取って選ぶ」と答えている。

しかし、書店で見つけた本を、その場で必ず新刊購入するとは限らない。

書店で実物を確認してから、図書館で借りる。

中古市場で探す。

電子書籍で購入する。

あとでタイトルを検索する。

音声版や映像版があれば、そちらを選ぶ。

これは書店にとって歓迎しにくい行動かもしれない。だが、読者の側から見れば、発見する場所と、実際にアクセスする場所が分かれただけともいえる。

このとき書店は、単なる小売店ではなくなる。

いま、どのような本が刊行されているのか。

出版社は、何を一冊の本にする価値があると判断したのか。

社会の関心は、どこへ向かっているのか。

どんな言葉が表紙に使われ、どんな分類で並べられているのか。

書店へ行けば、それらを一度に見渡せる。

書店は本を買う場所であり続けている。

同時に、いま何が本になっているのかを知る、出版市場の展示場であり、観測所になっている。

AIは、分解された機能を束ね直す

そしてAIは、書籍の機能分解をさらに先へ進める。

検索は、必要な情報がありそうな場所を示す。

AIは、複数の情報を比較し、利用者の質問に合わせて説明を組み直す。

難しい内容を平易に説明する。

知らない前提を補う。

複数の立場を比較する。

長い文章から要点を取り出す。

質問に答える。

学習の順序を組み立てる。

利用者の知識量や目的に合わせて、同じ内容を別の形に変換する。

一冊の書籍では、読者が著者の構成に合わせて読む。

AIでは、情報の方が利用者の要求に合わせて形を変える。

これは大きな転換である。

これまで体系的に学びたければ、著者が決めた目次に従い、第一章から順番に読んでいく必要があった。

AIは、その体系を利用者ごとに並べ替える。

すでに知っている部分を飛ばし、理解できない箇所を詳しく説明し、別の例を出し、必要に応じて質問を受け付ける。

AIは、本を一冊ずつ読むための新しい端末ではない。

一冊という単位を越えて、分解された知識を利用者ごとに束ね直す装置である。

ただし、AIが特定の本の内容を正確に利用しているとは限らない。

要約によって、著者が設定した条件、反論への応答、慎重な留保、文章の調子が失われることもある。一般的なAIへ本について質問した場合、そのAIが実際にその本の全文を確認して答えているとは限らない。

AIは、本の一部の機能を再現できる。

しかし、本そのものを忠実に再現するわけではない。

分解によって失われたもの

書籍の機能が外へ出たことで、私たちは多くの便利さを手に入れた。

しかし、すべての機能が強化されたわけではない。

検索では、自分がすでに知っている言葉を使って探すことになる。

推薦機能は未知の作品を見せてくれるが、その多くは過去の行動から予測された「気に入りそうな未知」である。

書店や図書館の棚では、自分の関心とは無関係に置かれた本が視界に入る。知らない分野、理解できない題名、好みではない装丁が、こちらの都合とは関係なく存在している。

アルゴリズムは未知を見せる。

しかし、利用者にとって理解不能なもの、関心がないと予測されたものまでは見せにくい。

短い要約や切り抜きでは、結論へ至るまでの論証が落ちる。

更新され続ける情報には、古くならないという利点がある。一方で、同じ文章へ戻ることが難しい。

電子書籍は大量の本を持ち運べる。しかし、紙の本のように自由に貸し、譲り、売り、サービスが終了したあとも確実に残せるとは限らない。

アクセスは強化されたが、所有は弱くなった。

情報は自由になった。

その代わり、情報を一つの形に留めておく力は弱くなった。

便利になったのは、必要な部分へ到達することである。

難しくなったのは、必要だと思っていなかった部分に留まることである。

それでも本に残るもの

では、機能が分解されたあと、本には何が残るのだろうか。

本に残るのは、検索より遅く、動画より地味で、AIより不親切な機能である。

本では、読者が著者の用意した順序をたどる。

自分が知りたかった部分だけを取り出すのではなく、なぜその問いが必要なのか、どのような前提があり、どんな反論が考えられ、それでも著者が何を主張するのかを追っていく。

自分では検索しようと思わなかった問いに出会う。

すぐには理解できない部分を、理解できないまま抱えて進む。

読み終わったあと、時間を置いて同じ文章へ戻る。

文章は変わっていないのに、以前とは違う意味が見える。

検索は、問いに答える。

本は、問いそのものを変えることがある。

AIは、文章を利用者に合わせて変える。

本は、変わらない文章によって、利用者の方を変える。

紙の本には、さらに物としての時間が加わる。

書き込み、折り目、汚れ、日焼け、置かれた場所、その本を読んだ時期。内容だけでなく、その本と関わった履歴が物体に残る。

これは、あらゆる本を紙で所有すべきだという意味ではない。

資料、教材、入門書、実用書の多くは、必要になった時点で、そのときの自分に合った情報を探せばよい。更新の速い分野であれば、古い本を保存しておくより、検索やAIを使って最新の情報を整理した方が合理的なことも多い。

だからこそ、紙で残す本の条件も変わる。

紙で残す本は、知識をくれる本ではなく、自分を変え続ける本である。

本は、固有の機能へ純化する

本を読む人が減っているという事実は否定できない。

だが、それを知識、文字、物語、思想からの一律な離脱と捉えるのは正確ではない。

起きているのは、書籍に束ねられていた機能の分解と再配置である。

検索、動画、SNS、ポッドキャスト、電子書籍、図書館、中古市場、AIが、それぞれの機能を引き受けた。

本から外へ出た機能は、速くなり、軽くなり、検索できるようになった。更新され、持ち運べるようになり、利用者ごとに形を変えられるようになった。

その一方で、著者の思考構造、文脈、固定性、所有、偶然の発見、長い集中、再読による変化は、一冊という単位の中に残った。

本が読まれなくなったのは、本の中にあったものがすべて不要になったからではない。

その多くが一冊の外へ出て、別の媒体で、より便利な形を手に入れたからである。

本は、あらゆる知識を運ぶ万能の容器ではなくなった。

そのあとに残るのは、検索できる知識を運ぶためだけの本ではない。

著者の思考へ長く身を置くための本。

自分からは探せない問いと出会うための本。

時間を置いて、何度も戻るための本。

変わらない文章によって、自分の変化を知るための本である。

本は消えるのではない。

本でなければ成立しにくいものへ、純化していく。

(了)


深水英一郎

参考

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