AIに一つの課題を渡すと、関連情報を集め、論点を整理し、選択肢を比較し、結論まで文章にして返してくれる。必要なら、最初の回答に反論させ、計画を修正させ、具体的な実行手順へ落とし込むこともできる。
以前なら人間が数時間、場合によっては数日かけていた知的作業が、短い指示から始まるようになった。文章を書くことだけではない。調査、企画、比較、計画、プログラムの実装など、これまで「頭を使う仕事」と考えられてきた領域へ、AIは急速に入ってきている。
ここでいう「AIが考える」とは、AIが人間と同じ意思や意識を持ったという意味ではない。人間が知的作業として行ってきた情報収集、推論、整理、生成の相当部分を、AIが実用的な水準で代行できるようになったということである。
では、AIが考えるようになったことで、人間は考えなくてよくなったのだろうか。
答えが出ても、問題は終わらない
たとえば、新しいサービスを企画するとする。
AIは市場の状況を調べ、利用者の候補を設定し、競合との違いを整理し、必要な機能や収益の仕組みを提案できる。開発の手順や費用を見積もり、企画書の形にまとめることもできるだろう。
出力された企画書は、文章として十分に整っているかもしれない。論理も通っており、実現可能性も考慮されている。人間が最初から作るより、早く詳しいものができる場合もある。
それでも、その企画書が存在するだけでは、サービスを作るべきかどうかは決まらない。
企画書に書かれた市場は、本当に自分が取り組むべき市場なのか。実現可能だからという理由だけで、時間や資金を投じる価値があるのか。利用者にとって便利でも、すでに別の方法で十分に解決されている問題ではないか。
AIは、これらの疑問についても検討できる。反対意見を作り、リスクを整理し、中止する場合を含めた選択肢を示すこともできる。
しかし、回答が増えるほど、自動的に決断へ近づくわけではない。
最後には、集められた情報を何と照らして評価し、どの可能性を選ぶのかを決める必要がある。AIが作った答えの中から選ぶだけでなく、必要なら最初の課題そのものを見直さなければならない。
答えを作る能力と、その答えを使って何をするかを決める能力は、同じではない。
人間の仕事は、作業の外側へ移る
AIが知的作業を引き受けるほど、人間の仕事は減っていく。少なくとも、情報を集め、整理し、文章として形にするまでの負担は大きく減らせる。
一方で、AIが作業を引き受けるほど、その外側にある判断が目立つようになる。
何について考えるのか。なぜ、それを今考えるのか。どの情報を信頼するのか。何を基準に答えを評価するのか。複数の案が出たとき、どれを採用するのか。そもそも、答えを出すべき問題なのか。
こうした判断もAIに相談できるが、相談の結果を採用するかどうかは、さらに別の判断になる。判断そのものをAIに任せても、その判断を実行し、結果を現実の中で受け取るのは人間である。
AIによって人間の思考が不要になるのではない。人間の思考は、個々の作業を処理する場所から、その作業を選び、組み合わせ、方向づける場所へ移ろうとしている。
人間は何を考えるのか
これまでの知的作業では、人間が問いを立て、情報を集め、答えを作るところまでを一続きに担っていた。AIはその途中へ入り、調査、比較、批判、文章化といった工程を引き受け始めた。
その結果、人間には、これまで個々の作業の中に埋もれていた問題が残される。
何を目指すのか。どの問いを考えるのか。AIの答えを何と照らして評価するのか。複数のAIを使うなら、どのように役割を分けるのか。そして、どこで考えることをやめ、判断して実行へ移るのか。
これらを単に「AIへの指示」と呼ぶだけでは足りない。人間はAIに命令文を書いているだけではなく、AIを含む思考の場そのものを組み立てようとしているからだ。
本連載では、この役割を「AIファシリテーション」と呼ぶ。
AIが考えるようになった時代に、人間は何を考えるのか。AIに任せられることが増えるほど、人間が担うべき仕事はどこへ移るのか。
次回から、目的、問い、複数AIの協働、そして人間による思考の設計という順に、この問題を考えていく。
(了)
深水英一郎

小学生のとき真冬の釣り堀に続けて2回落ちたことがあります。釣れた魚の数より落ちた回数の方が多いです。
テクノロジーの発展によってわたしたち個人の創作活動の幅と深さがどういった過程をたどって拡がり、それが世の中にどんな変化をもたらすのか、ということについて興味があって文章を書いています。その延長で個人創作者をサポートする活動をおこなっています。