租税貨幣論について

貨幣はなぜ価値を持ち、どのように生まれたのか——この根源的な問いに対して、「租税貨幣論」は私たちの常識を覆す視点を提供します。この理論によれば、貨幣は物々交換の不便さから自然発生したのではなく、政府が課税のために意図的に創造したものだというのです。現代貨幣理論(MMT)の基盤となるこの概念は、国家の財政政策のあり方に革命的な示唆を与え、経済安定における政府の役割を再定義します。

## 租税貨幣論の核心:税が貨幣を動かすメカニズム

租税貨幣論は、多くの人が持つ「貨幣は交換の不便を解消するために自然発生した」という直感的な理解を根本から覆します。この理論の核心は、「貨幣は政府が課税という権力を行使するための道具として意図的に創造された」という革新的な視点にあります。

具体的にはこう考えます。政府が国民に税金を課し、「この特定の貨幣でしか納税を受け付けない」と宣言すると、国民はその貨幣を手に入れるために労働力や生産物を提供するようになります。この「納税のために必要」という強い動機が、本来は紙切れや金属片にすぎないものに突如として価値と需要を生み出すのです。

このメカニズムでは、政府はまず支出を通じて貨幣を民間経済に供給し、その後、税金という形でその一部を回収します。こうして「政府支出による供給→民間での流通→納税による回収」という循環が生まれ、これが貨幣が経済で絶えず動き続ける原動力となります。政府が税を徴収する能力と意思を持つ限り、その政府が指定した貨幣には必ず需要が生まれ、価値が維持されるのです。

歴史の足跡:表券主義からMMTへの流れ

租税貨幣論の思想的源流は、20世紀初頭のドイツにさかのぼります。ゲオルク・フリードリヒ・クナップは1905年の著書『貨幣国定学説』で「表券主義(Chartalism)」を提唱し、貨幣の価値はその素材ではなく、国家がそれを「支払いの手段」として公式に認めることで生じると主張しました。

この考え方は当時の金本位制を前提とする主流派経済学からは異端視されましたが、その思想は脈々と受け継がれてきました。特に2008年の世界金融危機後、従来の経済政策の限界が露呈するなか、表券主義を現代的な枠組みで再構築し、大胆な政策提言を行ったのが「現代貨幣理論(MMT)」です。

MMTは租税貨幣論を基盤として、主権通貨を発行する政府は通貨供給能力において原理的には制約を受けないと主張します。ただし、これは「何をしても良い」という意味ではなく、実物資源の制約やインフレという経済的制約は厳然として存在すると強調します。MMTは「貨幣は国家の創造物である」という表券主義の洞察をさらに発展させ、現代の不換紙幣システムにおける財政・金融政策のあり方を根本から問い直しているのです。

主権通貨の力:国家が価値を保証する構造

租税貨幣論とMMTの議論の核心となるのが「主権通貨」の概念です。主権通貨とは、自国の中央銀行が発行し、法的な決済手段として認められており、その政府が自国通貨建ての債務しか持たない通貨を指します。日本円や米ドル、ユーロなどがこれに該当します。

主権通貨を持つ政府は、その通貨でしか税金を受け付けないという強力な権限を持っています。この「税を自国通貨でしか支払えない」という仕組みこそが、租税貨幣論において貨幣の価値を維持する決定的な要素となります。国民は税金を支払うために必然的に主権通貨を求めるため、その永続的な需要が通貨の価値を下支えするのです。

租税貨幣論では、貨幣の価値は素材の希少性や外貨準備高よりも、政府が税を徴収する能力と、その通貨で支出を行うことで生じる民間からの需要によって強く裏付けられると考えます。政府が安定的に税を徴収し、その通貨で経済活動に介入できる限り、通貨への信頼と需要は維持され、貨幣の価値は比較的安定します。

逆に、政府の税徴収能力が失われたり、国民が政府通貨への信頼を失ったりした場合、貨幣価値は急速に崩壊する可能性があります。歴史上のハイパーインフレ事例では、政府の統治能力や税徴収システムが機能不全に陥り、人々が政府通貨を忌避して外貨や物々交換に走る現象が見られました。これは「貨幣価値は国家による裏付け、特に税徴収能力によって保証される」という租税貨幣論の考え方を裏付けています。ただし、ハイパーインフレは通常、複数の要因が複合的に絡み合って発生することにも留意する必要があります。

財政政策の新たな地平:柔軟性と経済安定への貢献

租税貨幣論とMMTは、国家の財政政策に対する従来の考え方に根本的な変革を促します。従来の経済学では、政府の財政は家計の財布に例えられ、収入(税収)の範囲内で支出を抑えるべきとされ、財政赤字は「将来世代への負担」として忌避されてきました。

しかし租税貨幣論に基づけば、自国通貨を発行する主権政府は、通貨供給能力において家計とは全く異なる性質を持ちます。政府は税収を得てから支出するのではなく、むしろ支出を通じて貨幣を創造し、民間経済に供給します。税金はその供給された貨幣の一部を回収する手段であり、同時に貨幣需要を生み出す仕組みでもあります。

この理解に立てば、政府は自国通貨建ての支出能力において原理的には財政的制約を受けないため、経済の安定と発展のために財政政策をより積極的に活用できる可能性が開けます。

ただし、これは「際限なく貨幣を発行しても良い」という意味ではありません。租税貨幣論が強調するのは、制約は財政面ではなくインフレや実物資源の限界にあるということです。政府が無制限に支出を増やせば、経済全体の需要が供給能力を上回り、インフレを招きかねません。

したがって、租税貨幣論に基づく財政政策の焦点は財政赤字の規模そのものではなく、インフレを抑制しつつ経済の潜在能力を最大限に引き出し、社会的目標を達成するために、政府支出の水準や内容、税制をいかに調整するかという点に移ります。政府は景気低迷時には公共投資や社会保障支出の拡大、減税などで有効需要を創出し、インフレ懸念時には増税や支出削減で経済をクールダウンさせることができます。

この理論は、政府を経済という名のオーケストラの「指揮者」として位置づけ、財政政策という楽器を柔軟に操ることで、完全雇用や物価安定、環境対策といった社会福祉の「美しい旋律」を奏でることを可能にします。たとえば、失業者が多い状況では、政府は彼らを雇用する公共事業(インフラ整備、再生可能エネルギー投資、介護・教育サービス拡充など)を積極的に行うことで、経済活性化と社会問題解決の両方を図ることができます。

租税貨幣論は、「貨幣とは何か」「政府は経済でどのような役割を担うべきか」という根源的な問いに対して、挑戦的かつ示唆に富む回答を提供します。この理論を理解することは、国家と通貨の関係、そして財政政策の可能性についてより深く多角的に考察するための強力なツールとなるでしょう。MMTを巡る議論は現在も活発ですが、租税貨幣論が投げかける視点は、今後の経済政策や社会のあり方を考える上で避けて通れない重要な論点であることは間違いありません。


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