広告の死:AIが消費の欲望を代行し人間を安心させるためのストーリーを語り出すとき広告の役割は静かに終わる

広告の死

売る側もAIを使い、買う側もAIに相談して購入を決める——そんな時代に、広告はまだ意味を持つのでしょうか。

消費の欲望をAIが模倣し、人間の代わりに消費をおこなう、という未来が語られていますが、そうなったとき、もう広告はなくなってしまうのではないでしょうか。

(そしてそうなったとき、広告というビジネスモデルに依存したGoogleやMetaという巨大企業はどうなってしまうのでしょうか。OpenAIが広告に依存しないのはAIによって広告が駆逐されてしまうからだとしたら?)

これまで広告は、人の欲望を刺激する「物語の装置」でした。企業は商品の背景に物語を与え、消費者はその物語を自分の生き方に重ね合わせてきたのです。しかしAIが登場すると、欲望は直接データとして解析され、最適な提案が自動的に返されるようになりました。そこへ消費者側が、消費の判断をおこなうAIを投入したとき、つまりAI対AIで消費がおこなわれるようになったとき、広告はもはやノイズでしかありません。

そういう未来が訪れたらもはやこれまで通りの広告の役目はなくなるでしょう。

しかし、それでも人は、合理的な選択、最適な選択だけでは満たされない存在なのだと思います。私たちが求めているのは、合理的な正解ではなく、「自分らしい選択だった」と思える感覚です。AIはそこに踏み込んでいくのではないかと思います。行動履歴や嗜好データをもとに、「あなたの選択は本来こうあるべきだった」と語る。

AIは情報を提示するだけでなく、私たちの選択に“意味”を与える物語の語り手になっていくのです。

つまり広告は一度死に、姿を変えて、AIの中で生き続ける。かつて広告が人に欲望を与えたように、これからAIは「納得」という感情を売るようになるでしょう。ときには人の欲望を煽るでしょう。

商品を選ぶのではなく、選んだ自分を肯定する——そんな物語のために。

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