AIが選ばれている理由は、安いからではない
AIが導入される理由として、よく「コスト削減」が挙げられます。人件費が高い、固定費が重い、利益率が合わない。こうした説明は確かに間違いではありません。ただ、それだけでは今の状況を十分に説明できなくなってきています。
企業が実際に買っているのは、人件費の削減そのものではありません。
人間を雇うことで発生する不確実性を、できるだけ減らすことです。
人を雇うことは、もはや単なる支出ではありません。
それは、長期にわたって制御しきれない変数を抱え込む行為でもあります。
労務トラブル、評価への不満、ハラスメントの線引き、メンタル不調、価値観の衝突、個人の発言による炎上、内部告発、訴訟リスク。これらはすべて、どれだけ制度を整えても、事前に完全に防ぐことはできません。そして一度起きれば、企業側が説明責任を負うことになります。
コストは計算できます。
一方で、リスクは説明しづらいものです。
経営の現場で特に嫌われるのは、金額の大小そのものよりも、「何が起きるかわからない状態」が続くことです。どれだけ利益を生んでいても、先が読めない状態は、管理不能だと受け取られてしまいます。
この文脈で考えると、AIの価値は別のところにあります。
疲れない。病まない。辞めない。感情を爆発させない。権利を主張しない。内部告発もしない。
ここで評価されているのは、生産性の高さというより、予測しやすさです。
大切なのは、人間の能力が劣っているから置き換えられているわけではない、という点です。人間は柔軟で、創造的で、文脈理解にも優れています。ただ同時に、法的・社会的・感情的な変数を大量に内包した存在でもあります。
企業が避けようとしているのは、扱いきれなさ名のです。
この変化は、雇用がすぐに終わることを意味しているわけではありません。
ただ、雇用の前提が、静かに書き換えられつつある、という事実は確かです。
これから価値を持つ人間は、「高い成果を出せる人」よりも、「リスクを増やさない人」になる可能性があります。創造性よりも先に、安定性が評価される場面は、これから増えていくでしょう。冷たく聞こえるかもしれませんが、企業の論理としては一貫しています。
AIが仕事を奪っている、というよりも、
企業が人間を雇うことに、少しずつ耐えられなくなってきている。
その受け皿として、AIが選ばれている。そう捉えたほうが、実態に近いのかもしれません。
(了)

小学生のとき真冬の釣り堀に続けて2回落ちたことがあります。釣れた魚の数より落ちた回数の方が多いです。
テクノロジーの発展によってわたしたち個人の創作活動の幅と深さがどういった過程をたどって拡がり、それが世の中にどんな変化をもたらすのか、ということについて興味があって文章を書いています。その延長で個人創作者をサポートする活動をおこなっています。