OpenAIのio(ジョニー・アイブ)一兆円買収に違和感を感じるのはなぜか

OpenAIがジョニー・アイブの関わる企業「io」を約1兆円規模で買収したというニュースを見たとき、多くの人は「すごい話だ」と感じたはずだ。だが同時に、どこか説明しづらい居心地の悪さを覚えた人も少なくないのではないか。その違和感は、単なる金額の大きさでは説明できない。

まず構造が歪だ。

ジョニー・アイブには二つの会社がある。ひとつはプロダクト開発会社のio。もうひとつはデザインスタジオのLoveFrom。OpenAIが買収したのは前者だけで、後者は独立したまま残る。つまりこれは「ジョニー・アイブ本人を丸ごと迎え入れた」わけではない。人生を賭けて一つの製品にコミットする創業者を獲得したのではなく、関与の一部だけを資本で囲い込んだ形だ。

この時点で、通常の大型M&Aが持つ緊張感が欠けている。

だって、1兆円だぜ?


1兆円という金額が許容されるのは、成功時のリターンがほぼ独占でき、失敗時の責任も共有される場合だ。だが今回、リスクはOpenAI側に偏り、ジョニー・アイブ側には複数の出口が残されている。この非対称性が、まず一つ目の違和感を生む。

次に、発表のされ方だ。
具体的なプロダクトは示されず、代わりに強調されたのはサム・アルトマンとジョニー・アイブの関係性、価値観、友情だった。プロダクトの魅力や体験ではなく、「この二人が一緒にやる」という物語が前面に出る。この構図は、技術や実装ではなく、人格と信頼に判断を委ねるよう求めてくる。理屈より感情で納得させようとする態度に、人は本能的な警戒心を覚える。

(OpenAIが発表した動画は、商標がioと似ている企業からの商標紛争により削除されているため、ここに貼っているのは他のYouTuberがUPしたものです)

さらに言えば、これはプロダクト投資というより「語る資格」への支払いに近い。
ジョニー・アイブの名前は、それ自体が未来を語るための通行証になる。彼が関わっているという事実だけで、「これは単なるガジェットではない」「次の計算機の話だ」と言える。その免罪符に、1兆円という価格が付けられているように見える。

では、なぜこの雑さが大きな批判にならないのか。
理由は単純で、投資家たちはこの案件を個別の成功確率で見ていない。AI覇権という巨大な文脈の中の「オプション」の一つとして扱っている。成功すれば文明レベルで意味があり、失敗してもOpenAI全体は揺らがない。だからリスクは織り込まれている。ただし、誰もそれを積極的に言語化しない。

この沈黙が、さらに違和感を増幅させる。
本当は不確実で、荒くて、賭けに近い判断なのに、あたかも必然であるかのように語られる。そこに、現在のAI業界全体に漂う「神話の空気」が重なる。

結局のところ、この買収が気持ち悪く感じられるのは、金額が大きいからではない。
プロダクトがなく、責任の所在が曖昧で、物語だけが先行しているからだ。合理的に疑う余地が多いのに、疑うこと自体が野暮だとされる空気がある。そのねじれに、人は違和感を覚える。

この案件は成功するかもしれない。
だが、成功が約束されているように語られる理由はどこにもない。

(了)



Scroll to Top