note.comはAIに参照されて喜んでいていいのか──優秀な学習データという罠

AIの時代において、「参照されること」と「価値があること」は同じ意味ではありません。

最近、noteが「AIから多く参照されている」ことを前向きな指標として語られる場面をよく見かけます。人間だけでなくAIにも読まれている、時代に適応している、影響力がある。そうした説明は一見もっともらしく、特に違和感もありません。

ただ、その評価軸は本当に妥当なのでしょうか。

noteはAIに参照されて喜んでいていいのか

AIが参照しやすい文章は、必ずしも中身の深さや独自性で選ばれているわけではありません。構造が単純で、権利関係が整理されており、無料で量があり、更新頻度が高い。そうした条件を満たしているかどうかが、大きく影響します。noteは、この条件をかなり高い水準で満たしています。

さらに、noteはドメインとしての評価が高く、検索結果の上位に出やすい傾向があります。その結果、PerplexityのようなAI検索や、検索結果を材料に答えを組み立てる仕組みから見て、「既存の信頼できる情報源」として拾われやすくなります。参照が増えるのは、技術的に見れば自然な流れです。

問題は、その事実に「価値が証明された」という意味を重ねてしまう点にあります。

AIからの参照を目標にしても、実際の成果につながらないという感触は、すでに多くの書き手やメディア運営者の間で共有され始めています。参照数は増えたが、売上や問い合わせは増えない。数字は動いたが、人との関係は生まれなかった。立場は違っても、語られている体験はよく似ています。

理由はシンプルです。AIは文章を読みますが、滞在はしません。要約はしますが、リンクは踏みません。引用し、参照はしますが、対価が支払われるわけではありません。

ここで起きているのは、単に「学習データとして使われる」という問題だけではありません。AI検索によって、人間が本文を読む前に答えが提示されてしまう構造そのものが変わりつつあります。流入経路が変わったというより、読む主体が人間からAIへと置き換わり始めているのです。

参照されているが、体験されていない。取得されているが、関係は結ばれていない。「AIに読まれている」という事実は、それ自体ではほとんど何も保証しません。

この文脈で、比較対象としてよく挙げられるのがWikipediaとGitHubです。どちらも、構造が整理され、権利が明確で、無料で大量の情報があり、更新が続いています。その結果、AIにとって理想的な参照元になりました。

ただし、両者には決定的な前提があります。Wikipediaは、最初から「人類の共有知」になることを引き受けた非営利の仕組みです。書き手の直接的な収益を前提にしていません。

GitHubは、コード共有によって生まれる価値を、別の形で回収できます。現在では、コードを書くための支援ツールを提供する側に回ることで、共有の成果を事業につなげています。

それでもGitHubでは、もう一つの現象が進んでいます。共有されたコードがAIに取り込まれ、再利用されることで、定型的な実装作業における人手の必要性は確実に下がっています。これは失敗というより、共有資源として成功しすぎた結果だと言えます。ただ、その成功が「書く人の数」を減らしているのも事実です。

では、noteはどうでしょうか。

noteは公共財ではありませんし、インフラでもありません。広告モデルでもなく、人間が読み、価値を感じ、直接支払うことで収益が成り立っています。有料記事やメンバーシップ、サークルといった仕組みの中に、AIは含まれていません。

AIはnoteを読みますが、購入はしません。本文が人間に読まれず、AIの回答を作る材料として消費されるだけになったとき、noteが掲げてきた「クリエイターへの還元」という前提は揺らぎます。

ここで、別の視点も浮かびます。note運営が「AIからの参照が増えている」ことを強調する背景には、個人クリエイターだけでなく、企業ユーザーへの訴求があるのかもしれません。

多くの企業では今も、「どれだけ参照されたか」「AIの回答に名前が出たか」といった、測りやすい指標が評価に使われがちです。本来は、理解されたか、信頼されたか、意思決定に影響したかが重要なはずですが、現実には参照されたという事実だけが成果として扱われる場面が少なくありません。

もしnoteが、その評価設計の甘さを見越した上で「AIに参照されやすいプラットフォーム」であることを打ち出しているのだとしたら、問題はnoteだけにとどまりません。企業側のKPI設計そのものが、価値と参照を取り違えていることのあらわれでもあります。

WikipediaやGitHubは、結果としてAIの主要な参照元になりましたが、その立場を引き受けられる前提と、矛盾しない仕組みを持っていました。

ではnoteはどうか。

AIにとって都合の良い参照元であることと、人間にとって読む価値のある場所であり続けることは、放っておけば徐々にズレていきます。そして事業として重要なのは、明らかに後者です。AIに参照されるだけでは、ほとんど収益にはなりません。むしろ、静かに価値を削っていく選択に近いと言えます。

AIにとって都合のよい存在になったnoteは、本来の目的を保ったまま、持続可能なビジネスとして成立し続けられるのでしょうか。


(了)

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