検索前提のネット発信者は、AIの養分になりつつある

かつて、ネットで情報を発信する理由はとても単純でした。
検索結果に表示され、人が訪れ、その結果として仕事や売上につながる。企業ブログや個人ブログは、検索という仕組みの上に成り立っていました。

SEOは決して安定したものではありませんでした。検索エンジンの仕様変更に振り回されることも多く、それでも「上位に出れば人が来る」という前提は、長い間機能してきました。書くことと、読まれることが、かろうじて結びついていた時代です。

しかし、この前提はいま静かに崩れています。

検索前提のネット発信者は、AIの養分になりつつある

生成AIの普及、とくにGoogleが進めているAIを組み込んだ検索体験によって、検索の役割そのものが変わり始めました。検索結果は、リンクの一覧を返すものではなく、要約や結論そのものを提示する形へと移っています。その結果、ユーザーは検索画面の中で疑問を解消し、外部サイトを訪れなくなりました。いわゆる「ゼロクリック」と呼ばれる現象です。

ここで押さえておきたいのは、ゼロクリックが偶然起きた問題ではないという点です。AI検索は、最初から「外のページに行かなくても済む体験」を目指して設計されています。ユーザーがクリックしなくなったのは、検索体験が失敗したからではなく、設計どおりに進化した結果だと言えます。

こうした変化を前にして、多くの発信者は次のように考え始めます。
「それなら、AIに参照されるような文章を書けばいいのではないか」

一見すると現実的な対応に見えますが、ここにも注意が必要です。

AIに参照されることと、発信者に価値が戻ってくることは、ほとんど結びついていません。どの文章が、どのAIに、どのような形で使われるのかを、書き手が知ることはできません。多くの場合、名前が表示されることもなく、評価されることもなく、人が訪れることもありません。

SEOの時代も不確実性はありましたが、それでも「人が来る可能性」は残っていました。一方、AIに参照されることを前提とした環境では、その可能性自体が最初から用意されていない場合が多くなっています。情報は利用されますが、発信元に何かが返ってくる仕組みはほとんどありません。

では、なぜAI検索は送客しないのでしょうか。

理由はシンプルです。送客しなくても成立するからです。

AI検索は、次の時代の検索の入口として生き残れるかどうかをかけた競争の最中にあります。ユーザーを手放さず、検索体験の中ですべてを完結させることが最優先です。その状況では、情報を提供したサイトに人を戻すことは、中心的な課題になりません。

その結果、次のような構図が生まれます。
情報は集められ、要約され、再利用される。
しかし、その情報を生み出した場所に、人は戻ってこない。

この流れを踏まえると、次のように言えます。

検索を前提にしたネット発信者は、AIの学習や回答を支える存在になりつつあります。そして同時に、「AIに参照されること」を目標にする発想そのものも、少し方向がずれているように見えます。

問題は、AIが悪いという話ではありません。
「どこかの仕組みが、きっと価値を返してくれるはずだ」という期待を、無意識に置いてしまっていることが問題です。

これから重要になるのは、検索される文章を書くことでも、AIに拾われる文章を書くことでもありません。
誰に向けて書いているのか。
どんな関係の中で読まれるのか。
読まれたあと、どのようにつながるのか。

こうした点が最初から意識されている発信だけが、意味を持ち続けます。

書くこと自体が無意味になったわけではありません。ただ、回収の道筋を考えないまま書くことが、以前より成り立ちにくくなったというだけです。

少し強めに言えば、「どこかが評価してくれるだろう」という感覚の時代は終わりつつあります。これからは、「自分で届く場所を決める」ことが、発信の前提になっていくのだと思います。


(了)

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