「右側のタブを閉じる」だけの世界で本当に良いのか?

多くのブラウザには「右側のタブを閉じる」や「その他のタブをすべて閉じる」が用意されています。タブが増えやすい作業環境では欠かせない整理手段で、タブを前提とする使い方が広まった結果として自然に育ってきた機能と言えます。ただ、その並びの中で「左側のタブを閉じる」だけが見当たらないことに気づくと、どこか片側だけ空いたような感覚が残ります。

この構造には、人間の注意や記憶の働きが密かに影響しています。多くのユーザーは、新しい情報を右側へ、古い情報を左側へ積むという「時間の左右配置」を無意識に行います。これは認知科学で確認されている、人が時間を空間として扱う癖の反映です。同時に、直近の情報に注意が偏る「最近バイアス」と、重要そうなタブを失いたくない「損失回避」も働きやすいため、散らかるのは右、慎重になるのは左、という傾向が自然に強まります。結果として、「右側をまとめて閉じたい」という需要が設計にそのまま反映されてきました。

「左側のタブを閉じる」が欲しい人もいる

ただし、集団の平均的な行動がすべてのユーザーを代表しているとは限りません。大量のタブを開いて左から順に処理していくような作業では、片付いたタブが左側にたまりやすくなります。終わった部分だけをきれいに掃除したい場面で、「左側のタブを閉じる」がないことに気がつき、一つずつ×印を押して消すしかないことに気づき、絶望します。右側を整理する機能が役に立つのなら、左側にも同じ仕組みがあってよいはずです。

片側の操作だけが標準として扱われている現状は、デジタルの慣習がそのまま仕様に定着したようにも見えます。多くのユーザーにとって右側が“掃除しやすい領域”だったため設計に採用され、逆に基点となりやすい左側は「誤って消すと痛みが大きい」という理由で、破壊的操作として採用されにくかったという説明もできます。多数派の行動は反映されやすい一方で、私のような少数派の作業パターンは設計段階で切り落とされることが少なくありません。けれども、タブの使われ方がここまで多様になった今、左右どちらにも同じ操作が用意されている方が自然だと感じる人は増えているはずです。

本当に「右側を閉じる」だけの世界でよいのでしょうか?

これから先も、ずっと「左側を閉じる」が欠けた世界でよいのでしょうか?


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