2025年のM-1決勝で、ドンデコルテの漫才にこんな一言があった。
「自民党はありません!」
会場は大爆笑に包まれた。説明は不要だった。理由も背景も語られないその一言が、観客の感情に正確に刺さったからだ。
誰もが薄々感じている違和感。
口に出すほどではないが、胸の奥に溜まっているモヤモヤ。
それを、あまりにも短く、あまりにも直接的に言語化した瞬間だった。
だから共感と共に大きな笑いが起きた。
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自民党が選ばれ続ける理由を「支持」と呼ぶのは、やはり無理がある。そこにあるのは期待ではない。もっと静かで、もっと日本的な感情──諦めだ。
選挙直前に持ち出される、食料品限定の消費税減税。時限措置で、制度設計は粗く、実施は選挙後。冷静に見れば、あまりにも露骨な選挙対策だ。
多くの有権者はそれを理解している。理解したうえで、なお票を入れる。
ここに、日本政治の核心がある。
有権者は騙されているのではない。納得していないが、拒否もしない。怒っているが、賭けには出ない。
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そう、自民党は「良い政党」だから残っているのではない。「これ以上ひどくならなそう」という、消極的な条件を満たしているだけの存在だ。
それは信頼ではなく、既知の不完全さへの慣れである。
重要なのは、これは無関心の結果ではないという点だ。むしろ逆だ。政治を見続け、失望を重ね、期待することに疲れた結果である。
野党が分裂し、理想を語り、しかし統治の像を示せないかぎり、有権者は変化よりも摩擦の少なさを選ぶ。改革は希望ではなく、リスクとして認識される。
この構図の中で、消費税減税は政策ではない。政治的な免罪符だ。「何もしないわけではない」という態度を示すための、小さな儀式にすぎない。
だからこの話は、「自民党が悪い」「野党がだらしない」で終わらせてはいけない。それらは結果であって、原因ではない。原因はもっと深いところにある。
期待すると傷つく。
諦めれば、傷は浅い。
この合理的な感情が、民主主義の選択として定着してしまったことだ。
自民党は、いまの日本社会が選んだ、もっとも摩擦の少ない政治の形である。他に選択肢がないから選ばれている。
だからこそ、
「自民党はありません!」
という言葉に、あれほどの爆笑が起きたのだ。
(了)

小学生のとき真冬の釣り堀に続けて2回落ちたことがあります。釣れた魚の数より落ちた回数の方が多いです。
テクノロジーの発展によってわたしたち個人の創作活動の幅と深さがどういった過程をたどって拡がり、それが世の中にどんな変化をもたらすのか、ということについて興味があって文章を書いています。その延長で個人創作者をサポートする活動をおこなっています。